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健康づくりは幸せづくり

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古き園舎発。心に触れるアート。

現代美術の閃光を浴びた片田舎の少年

2人の息子のおもちゃもずいぶん作った
「ロバート・ラウシェンバーグやアンディ・ウォホール、オルデンバーグとか、現代美術作家の作品ページが特に刺激的でしたね」と話すのは、アーティストの真鍋武さん。誰が買ってきたのかわからないが、いつのまにか家にあった美術全集。「かっこいい!」十代の最初に受けた衝撃だ。六十年代のアメリカのポップアート、それらは現代社会を映し出す風景画だったが、そこには、自分の日常生活にありえないモチーフが広がっている。武少年は、同じ今に存在するアーティストたちによって、全く自分の知らない世界が繰り広げられていることに心を振るわせた。考えてみれば、絵に対する興味は美術全集を見る以前から芽生えていたようだ。家に飾られていた唯一の絵。
ジョットーが描いたフレスコ画で、A4サイズくらいのポスターなんですが、ちゃんと額に入れてかけてありました。誰が飾ったんだろうなあ?」。父、母、兄、姉…家族の中で美術に関して、武少年に特に語る人はいなかったらしい。でも、そのキリストが描かれた絵に目を留め、精密に描かれた様子に「どうやったら描けるの?こんな風に描けるのはどんな人なんだろう?」と興味を抱いていた。落ちている五寸釘の先をひたすら磨いたり、地面に絵を描き、砂でうめ探し当てる隠し絵や、木を削って船や車を作ったり、四国の自然の中で友達と遊んでいた少年時代。 「自分も作品を通して表現者になりたい」と美大に進むのは自然な流れだったのだろう。18歳、故郷四国を離れ、いよいよその道の扉を開くのだった。

描く過程の中に存在する自己表現

東京の美大で過ごした四年間。「とにかく絵を描きましたね。想いを形にすることを模索する貴重な時間でしたから。モデルを見て自分の手を動かすしかなかった」。技術的に向上しても、自分のかたちを表現できるわけではない。描ける感触をつかみつつも、常に「自分らしい表現って何?」と、 「?」に直面するばかり。学校に行けば、当たり前のように描くためのモデルがいた。だが卒業後は、狭いアパートに独り。ここでナニカを描くしかない。一気に押し寄せてきたのは、改めて自分と作品との対峙だった。「まず、何を描けばいいのかわからない、テーマへの疑問にぶつかりました。あれから、30年以上経ってもテーマについては自問自答ですね」と真鍋さんは言う。だが、今はっきりわかっていることもある。それは、自分の興味は、風景、人物など具体的なものを描いた「結果」の中にではなく、自分の身体性に思いをはせること、つまり描く過程の中に「なにか」があるということ。例えば、作品のひとつに十年以上延々とファイルフォルダーに描き続けているストロークがある。制約のない無の状態で描く「線」。そのストロークの中にある危うさが、真鍋さんにとって表現の原点につながるのだ。「例えばまるいかたちをカンバスに何千個も描き続けた作品が、見る人に強い感動を与えたりする。描くという行為そのものが人の心に触れるという作品も結構あるんですよね」。特定の意味をもたないものから意味が生まれるのも美術の面白いところだろう。

原植物

1本の線が大事なんですという真鍋さんのストローク
そして、もうひとつ真鍋さんが触発されたのがゲーテの「原植物」の概念。詩人であり哲学者、科学者など多才な顔をもつゲーテは植物の形態に違いがあっても基本デザインは共通、おおもとはひとつだと打ち出している。「庭先の植物を見ていると、芽が出て、花が咲いて、枯れて姿を消す。また芽が出て、同じように花が咲いて…。なんのために繰り返すのだろうって考えるんです。そしてこんなに多種多様なのに繰り返しは皆同じ。だったらおおもとはひとつじゃないかという考えは実に面白いでしょ。それが、人間って?環境って?と考えると生命のおおもとは何?という子どものような素朴な疑問にまでいく」。絵画にもこれが共通するという真鍋さん。「具体的な表現物がないとき、自分の内側をみつめる、内側の問題は自分を通り越して、家族、生物、DNA、原点へとつながっていく。それを僕は色とストロークの作業で絵画にしたり、彫刻にしたりしているのかもしれない。見る人にそこから「個と社会との関わり」みたいなものが伝わったら…それが僕のテーマなのかな」。

住まいは幼稚園の校舎

幼稚園の懐かしい面影を残す
真鍋さんの住宅兼アトリエは、なんと幼稚園の校舎。「ここは妻の母校。戦後まもなく妻の祖父母が開いた幼稚園なんですよ」。木造平屋のノスタルジックな佇まいで、目を閉じると、園庭を駆け回る幼児の楽しそうな声が聞こえてきそうだ。38歳のとき、十年余り勤めた老舗の絵の具メーカーを退社し、一年間妻とフランスに住んだ。帰国後、本格的にアーティストとして歩む道を選択して、ここに住むことに。閉園して十数年そのままになっていたから、校舎の天井や床など半分は朽ちていた。でも、クリエイティブな分野が得意な真鍋さん、そして奥様は建築家。それに、渡仏以前に住んでいた米軍ハウス(日本の米軍基地付近の軍属向けに建てられた戸建ての貸家)時代や、やフランスでの滞在中にDIY(日曜大工)の腕には磨きがかかっている。ほとんど自分たちで少しずつ手をかけ、住める状態にしていった。それだけに住まい手の味が出て、穏やかな空気が流れている。
寝室の天井は、穴を開けて天窓にしたんです
かつてたくさんの小さな子どもたちが遊び、学んだ教室は、見事に生活の場として空間が変化したものの、素朴な校舎の佇まい、電気スイッチや建具、園庭の水のみ場など、懐かしい要素が随所に垣間見られるから面白い。「閉じていますが、トイレだった所にはかわいい便器がそのまま残っているんですよ」。ここに長く住むつもりはなかったと言いつつ15年が過ぎた。校舎の中心に位置する広いアトリエスペースで、真鍋さんが制作している傍ら、一緒に絵を描いたり、時には生意気に作品に意見したり、そんな風に過ごしてきた二人の息子はもう中学生と、小学高学年だ。「まだまだ手をかける余地があるから、というか手をかけなくちゃいけない所が多いから、年々インテリアにハマっちゃって」と真鍋さんは苦笑い。ただ、便利さが感覚を鈍らせることを知っているから、自分の心がシンプルでいられる加減が真鍋流。自ら手をかけ育ち続けている空間で、無限大の可能性を秘める美術というジャンルに真摯に向き合っている真鍋さん。今後の展覧会が楽しみだ 。

水彩絵手紙で贈る残暑見舞い

既製のハガキより、オリジナルの絵手紙のほうが、頂く人も嬉しいもの。この夏過ごしたひと時を、絵で伝えるのも楽しいですね。制作の傍ら、絵手紙教室を開く真鍋さんに、簡単に描ける絵手紙のコツを伺いました。
2■用意するもの
・ハガキサイズの画仙紙または、水彩紙
(画仙紙は絵の具が早く紙に浸透し、水彩紙は絵の具が乾くまでに顔料の動きがあるのが特徴。好みで選ぶ。)
*初心者は画仙紙が向いています
・墨汁(水で薄めるとき、濃・中・淡と3種類の濃さを用意)
・墨専用の筆(下書き用)
・透明水彩絵の具
・水彩筆(着彩用)
・パレット(絵の具用と墨汁用の2つ)
下書き筆に、水で薄めた墨汁をつけ、画仙紙にモチーフを描く 着彩その1明るいモチーフ(この場合黄色のズッキーニ)から着彩
*墨汁の濃さを描く部分によって使い分け、少しかすれるように描くとよい
*墨汁の代わりにペン、鉛筆でもOK
*黄色は濃・淡の2色をパレットにつくり、着彩時に明るい部分から先に塗る
*濃い部分と薄い部分を絵の上に表現すると立体感が出る
着彩その2緑のズッキーニを着彩 文字を書く余白にメッセージを書く
*淡い箇所から先に塗る
*ガクの周辺は濃緑、中間、薄緑で表現
*みずみずしさを表現するのに、下地の白をそのまま残すと効果的
*絵と文字と余白のとりかたを意識する。空間(余白)を残すと、絵と文字両方がいきてくる
*落款を押す
「絵なんて描けないわ」より、「描いてみたい」の気持ちがあれば、誰でも表現できる最高の方法が絵手紙なんですよ。(真鍋談)
プロフィール 
真鍋 武(まなべ たけし)
1954年愛媛県生まれ。武蔵野美術大学造形学部美術科卒業。学生時代のアルバイトが縁で絵の具メーカーに勤務した。立川や福生周辺の「米軍ハウス」で生活したのち、夫婦で1年間パリで暮らす。帰国した93年から茨城県で生活しながら、平面・立体の作品を発表し続けている。個展、グループ展など多数。妻の道子さんは一級建築士で現在は独立、「SOL庭園設計デザイン」主宰。2人の息子との4人暮らし。
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