

狭い路地の階段を一段、また一段と登っていくと、次第に長崎市内の町並みが眼下に広がっていく。ひと休みして汗を拭いていると、買い物袋を手にした地元のご婦人が「お疲れさま」と軽く会釈しながら階段を下っていった。その後ろを白黒の猫が静かに歩いていく…。
長崎港を東側から見下ろす風頭山の麓にある寺町地区。この地区の寺と寺の間にある狭い路地が「龍馬通り」の入口だ。坂の多い港町にある典型的な生活道路だが、かつては開国を夢見た幕末の志士たちが駆けた、夢への坂道でもあったという。
家の軒先を縫うような階段を再び、一段一段登り始める。セミの声がミンミンと周囲にこだまする。背中のシャツが汗でじっとりと濡れたころ、「亀山社中の跡」という石碑が目に飛び込んできた。時は慶応元年(1865年)、土佐藩を脱藩した坂本龍馬は、薩摩藩の援助を受けて、長崎に日本初の商社を結成した。それがこの「亀山社中」なのだ。メンバーは古い日本のしがらみを捨て、海外を夢見た若者達。船を買い、武器を買い、薩摩と長州の同盟を実現させた彼らは、ここで明日の日本を語り合ったのだ。
さらに坂道を約20分。もうヘトヘトで歩けなくなるころ、龍馬像のそびえ立つ風頭公園に着いた。展望台に立つと、長崎のビル群や長崎港の青い海、そしてその向こうには1000万ドルの夜景スポットとして知られる稲佐山が見える。司馬遼太郎の「龍馬がゆく」文学碑には、船が長崎港に入る様を見て、龍馬が「(長崎が)やがては日本回天の足場になる」と言ったと記されている。元気のない今の日本。しかし龍馬の眺めたこの景色を見れば、新しい希望が見つかるかもしれない。
【亀山社中記念館】
龍馬通りの途中にある、亀山社中の遺構を整備した資料館。龍馬の愛用した紋服や拳銃をはじめ、手紙や志士たちの写真などが展示されている。入場料大人300円。
●アクセス: 龍馬通り入口まで、長崎電鉄(路面電車)「公会堂前」電停から徒歩5分
●問い合わせ: 長崎市さるく観光推進課(電話:095-829-1314)
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